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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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亀ヶ崎城跡

                                 山形県キリシタン関連史跡

ルイス甘粕の父が城主を務めた


キリシタン武士で殉教者であるルイス甘糟の父、甘糟景継(かげつな)が治めていた城。

甘粕景継は上杉謙信に仕え、藩主が謙信の養子景勝になってからも上杉家に忠誠を尽くした股肱の重臣。武勇全般に優れた武将として上杉二十五将に数えられている人物です。

彼自身はキリシタンではなく、キリスト教では偶像崇拝とされる神社仏閣の再興などを行っていますが、景勝の次男甘糟右衛門信綱(あまかす・うえもん・のぶつな)は2008年に188人のキリシタン殉教者としてローマ法王より列福された者の一人。父が城代として治めるこの城に、若きサムライ甘糟信綱も訪れ、滞在したであろうと考えられます。


亀ヶ崎城跡


甘糟景継が城代を務め、ルイス甘糟も行き来したであろう亀ヶ崎城は取り壊され、城跡に酒田東高校が建てられています。

高校と隣の神社との間にわずかに堀の跡が残されているのみで、往時を物語るのはその緑に覆われた土塁だけです。

江戸時代の一国一城令で、全国で数多くの城が地図から消え、また大半が跡さえ残ってないことを鑑みると、それでも当時の遺構が残されていることは感謝すべきことだと思います。

亀ヶ崎城の遺構


甘糟景継が酒田にいたのは1593(文禄2)年から1598(慶長3)年。

この頃甘糟信綱はまだキリシタンにはなっておらず、城下でのキリスト教の布教も行われていませんでした。

ルイス甘糟が洗礼を受けたのは江戸で、フランシスコ会のルイス・カブレラ・イ・ソテロ神父からでした。米沢藩の重臣となったルイス甘糟は1611(慶長16)年にソテロ神父を自らの屋敷に招いたことがわかっています。

亀ヶ崎城遺構の土塁


1612(慶長17)年からソテロ神父が仙台領に遣わした同宿らが庄内地方を回るようになり、初めてこの地域に福音が入るようになりました。

時系列から考えて、ルイス甘糟とソテロ神父と対話した際に、酒田のことが話題に上り、宣教計画が立てられた可能性は大いにあります。

最初は仙台から、後に長崎から訪れるようになった宣教師たちは、報告書の中で庄内地方の首都は「サカタ」だといい、信仰的にも中心となり得ると期待して布教の任にあたっています。

彼らが感動を受け宣べ伝えたのは、そこに住む民を見てのことでしょうが、目には見えないもう一つの理由として、ルイス甘糟の祈りがあったのではないかと考えるのは、考えすぎでしょうか。


亀ヶ崎城の土塁

亀ヶ崎城の土塁

亀ヶ崎城跡の神

亀ヶ崎城跡の神

酒田東高校

酒田東高校構内

酒田東高校駐車場

酒田東高校前の道


 
現地への行き方
JR酒田駅から市バスなどで「商業高前」下車、徒歩4分。現在の酒田東高校です。


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